一人旅 九州旅行in 大分(別府)/長崎編 記念スタンプ旅
26日の夜に神戸からフェリーに揺られること約半日
九州上陸
大分県に到着
大分駅に到着してから駅スタンプを入手
大分駅で「九州周遊パス(3日間)」を購入しました。
値段は14000円です。
購入すると新幹線、特急に乗車可能です。
大分駅を出発してまず初めに向かったのが
別府駅です。早朝だったので1湯だけ入りました。
今回よった温泉は
竹瓦温泉 です。
別府駅から竹瓦温泉までの町なみ
竹瓦温泉です。
温泉は43度でかなり熱かったですが、眠気が覚めました!!!!!
温泉の休憩所です。
温泉の受付で記念スタンプを入手できました。
そのあと大分を後にして特急で4時間かけて長崎に行きました。
人生初長崎
ずーーーーっと行きたかった地域に足を踏み入れると
やはりワクワクしますね!!!!!
高揚感を保ちながら長崎駅でスタンプを入手しました。
そのあと長崎市の路面電車(1日乗車券 500円)に乗り出島に向かいました。
出島では地上げ海鮮丼を食べました。
とれたてでとれたてで身が引き締まっていて食べ応えがありました。
昼はグラバー邸に行きました。
グラバー邸から長崎市街地を一望した景色は、
心が洗われました!!!!!!
グラバー邸から少し離れたところにあるオランダ坂です。
長崎発祥 食べるミルクセーキ
創業明治20年の老舗の白水堂の奥に併設している「志らみず」で食べました。
歩き回っていたので、シャキシャキ冷たく甘いミルクセーキで疲労回復しました。
そのあと日が暮れる前に路面電車に乗って長崎の平和公園で平和祈念像を見ました。
長崎の中華街で、中国の旧正月を祝ってランタンフェスティバルが開催されていました。異国情緒で幻想的な空間でした。
本会場では中国の伝統芸能を披露していました。かなりの人でしたね。
●グラバー邸 夜景色
グラバー邸からの長崎市街の夜景はネオンの光がともっていて美しかったです。
グラバー邸でプロジェクションマッピングも見ました。維新の日本をコンセプトにしていて明治維新の産業革命のイラストも流れました。
かなり詰め込み計画で長崎を観光しました。宿に帰るとのび太君のように一瞬で爆睡しました。今回はランタンフェスティバルとグラバー邸を見るという目標をクリアしたので、次は軍艦島 島原城あたりを行きたいです。
記念スタンプ旅 -備中松山城のある岡山県高梁市を訪ねて-
岡山県倉敷市から車でいくこと30分ほどの北上していくと高梁市に到着します。
では今回の旅のレポートをお伝えします。
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今回の旅の目的
①備中松山城に登城する
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旅の詳細
高梁市についてからまず初めに寄ったのが備中高梁駅(伯備線:JR西日本)
山田方谷像
江戸末期から明治時代初期の漢学者です。彼は学者として備中松山藩に仕えていましたが、のちに藩政改革をして成功しました。
入手方法:駅構内の改札口付近で駅員さんにお尋ねする
かなり山道を車ではしること数分すると駐車場兼城への山道などあり、観光ガイドの方がいました。
車から降りて山道の入り口でお猿さんに遭遇しました。
お猿さんをみると、殺されたらどうしようと不安でしたが、観光スタッフの方に聞くと、お猿さんは人間に慣れているから普通にしとけば大丈夫やけと岡山弁で教えてもらって、安心しました(笑)
安心したのはいいものの、お城の頂上まで行くのに700mを登らなければいけません、山道は結構急で、頂上に着くと体が温まっていました。結構気温が温暖だったので、汗もかくくらい暑かったです。
山から高梁市を一望
ここで簡単に備中松山城について簡単に紹介します。
高梁市街地の北にそびえたつ。市民から「おしろやま」の愛称で親しまれています。
鎌倉時代の延応二年(1240年)に地頭に任命された秋庭三郎重信が臥牛山の北部である
大松山に砦を築いたのが歴史の始まりいわれています。
現存12天守のなかでは山城は備中松山城のみ。備中松山藩は松山藩の藩庁です。
財団法人日本城郭協会が選定した日本100名城にもなっています。
日本100名城の番号は68番です。
スタンプはこちらです。
備中松山城利用情報
そのあと伯備線の総社駅(岡山県総社市)のスタンプを入手して旅を終えました。
大阪のゲストハウスリスト
ゲストハウスをリストにまとめてみた第2弾は大阪です。
- 福宿 -FUKUHOSTEL- 和NAGOMI
- Dotombori Base
- THE DORM HOSTEL OSAKA
- Casa Ambrosia
- ホステルてるてるぼうず
- ゲストハウス森造
- GOMAHARU Guest House
- 大阪ゲストハウス桜
- THE PAX HOSTEL/RECODE/MORE
- HOME HOSTEL OSAKA
- KEN'S HOUSE
- Funtoco Backpackers Namba
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HOSTEL 64 Osakawww.hostel64.com
- ARK Hostel& Cafe Dining
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ゲストハウス木雲mokumoku-mogumogu.com
- Khaosan World Tennoji Hostel
- ゲストハウス由苑
- ジェイホッパーズ 大阪ユニバーサル
- ゲストハウスおどり
- 今里ゲストハウス
- ゲストハウス タイコたたきの夢
- GOEN LOUNGE&STAY
- 福宿 FUKU HOSTEL NAMBA
- Guest House HARU
- 堺ゲストハウス
東京のゲストハウス
①ケイズハウス東京
②BUNKA HOSTEL TOKYO
③ゲストハウスtoco
④Khaosan World Ryogoku Host
⑤Nui.HOSTEL&BAR LOUNGE
⑥カンガルーホテル
⑦Retorometro Backpackers
⑧ケイズハウス東京オアシス
⑨東京バックパッカーズ
⑩Khaosan World Asakusa Ryokan & Hostel
11 hanare
12 WIZE OWL HOSTELS TOKYO
14 Train Hostel 北斗星
15 IRORI Nihonbashi HOSTEL and KITCHEN
(16)Sato san‘s Rest
(17)ゲストハウス品川宿
(18)TOKYO HUTTE
(19) シーナと一平
(20)BOOK AND BED TOKYO
(21)ICHINICHI
(22)ZABUTTON HOSTEL & COFFEE SHOP
(23)東京ひのはら村 ゲストハウスへんぼり堂
(24)トロピカルインPAPAYA
(25)銀河荘Galaxy Guest House
(26)SEADAIVE Guest House
(27)Kaisu
カイス - 東京 - 日本 – カイス – 東京都 – 日本
(28)IMANO TOKYO HOSTEL/CAFE &BAR
(29)SAMURAIS HOSTEL ikebukuro
(30)グレープハウス高円寺
(31)LYURO
御朱印と記念スタンプ集め 西国三十三所 葛井寺 & JR天王寺駅
大阪府の天王寺から電車で行くこと20分ほどにある町
藤井寺市へ訪れました。
葛井寺の旬は4月から5月にかけて咲くフジです。
その御朱印がこちらです。
楼門:1790年に作られました。両脇には仁王像が建っています。
葛井寺本堂
江戸時代に建てられた本堂には、本尊である国宝の千手観音がまつられています。
この写真は葛井寺周辺の景色です。周辺には昔ながらの商店街があり
近くには近畿日本鉄道の藤井寺駅もあります。
また商店街から少し離れたところに古墳と神社がありました。
仲哀天皇陵
『日本書紀』、『古事記』に出てくるヤマトタケルノミコトの息子で第14代目の天皇である仲哀天皇が眠っていると言われる古墳です。
辛國神社
1500年程前、雄略天皇の時代に創建された神社です。
神社の本殿には、赤い棒、茶色の棒があります。赤い棒は10歳分、茶色の棒は1歳分
その棒を取って本殿の前にある百度石の周りをぐるぐる回るそうです。
例えば21歳であれば、赤い棒 2本(20歳)+茶色の棒 1本(1歳)で計3本の場合は3周、茶色の棒21本(21歳)の場合は21周します。
葛井寺に寄ったあと近鉄の藤井寺駅から天王寺に向かいました。
天王寺に到着後 JR天王寺駅で駅スタンプを収集しました。
駅スタンプ旅 奈良の世界遺産を訪ねて
1月24日、外はとても寒い中 JR西日本さんが発行する「冬の関西1デイパス」を使って奈良市へ旅しました。
「冬の関西1デイパス」の値段は
大人 3600円 、子供 1800円
発売期間 平成29年12月11日~平成30年2月25日
利用期間 平成29年12月14日~平成30年2月25日
です。
「冬の関西1デイパス」は
1デイパスの自由区間
江若交通バス1日乗り放題
+
奈良・西ノ京チケット(近鉄) or 湖都・びわこチケット(京阪電車)
※引換券でどちらか1枚と引き換えできます。
今回は奈良に行くために 奈良・西ノ京チケット(近鉄) と交換しました。
まずは近鉄に乗るためにJR大阪駅から大阪環状線で鶴橋駅に行きました。
鶴橋駅に行くついでに2駅途中下車しながら記念スタンプを押しました。
●寺田町駅
●桃谷駅
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環状線は電車の本数が多いので
乗ってはおりて 再び乗るというのを繰り返して
スタンプを集めることが出来ました。
鶴橋駅から奈良駅まで行きました。そのあと近鉄奈良駅からJR奈良駅に乗り換え
駅スタンプを求めて大和路線王寺駅、和歌山線 畑田駅で途中下車してスタンプを回収しました。
●王寺駅
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●畠田駅
畠田駅(JR西日本 和歌山線)#奈良県 #北葛城郡#スタンプ #駅スタンプ#記念スタンプ #記念スタンプ部#スタンプ集め #押し鉄 #鉄道
奈良公園内にいる鹿さんたちです。
東大寺へ行く道にたくさんいました。
神社関連の本によると鹿は神の使いだとされているそうです。
鹿を見ると心が癒されましたね。
ただ近づいてくると僕はびっくりして全力で逃げました。
ごめんなさい(笑)
そして東大寺へ。
小学校の修学旅行以来の東大寺ですが、小学校の頃の記憶はないに等しいです(笑)
東大寺南大門
平安時代に壊れましたが、鎌倉時代に重源上人が再建したといわれます。
素朴で力強い門を見て、僕も気持ちが引き締まりました。
東大寺大仏殿
廬舎那仏
写真でも大きいなと思いますが、実物は本当に大きかったです。
大仏と比べると僕がまるで宇宙の星粒やなと思いました(笑)
そのあと奈良駅に戻って奈良をあとにして家に帰りました。
今度は五條や橿原神宮あたりに行けたらなと思います。
ではこの辺で。
時計で○○が学べる。 『時計の科学 人と時間の5000年の歴史』を読んで
昨今、IPhone、Apple Watch など多機能な機械で時間を見ることが出来ます。時計は人間の生活を豊かにしてきました。しかしながら19世紀後半にアメリカのオハイオ州キプトンという町で大惨事な鉄道事故が起きました。原因は時計の針が5分遅れていたことです。車掌さんが遅れていた時計を信じてしまったので電車のダイヤが乱れて事故につながったと言われています。その当時は鉄道会社は時計に規定を設けていませんでしたが、この事故をきっかけに時計と時間管理を徹底するようになり時計の品質が良くなったと言われています。昔の人の試行錯誤があったからこそ、今の時計があります。
本書はそんな時計についての5000年以上前から今の時計に至るまでの経緯が書かれています。時計の始まりは日時計です。その根拠はメソポタミア文明、古代エジプト文明に、その痕跡が見つかっていることです。メソポタミア文明においては、紀元前1万年ころから農業がおこなわれており、人間は自然現象(季節など)に関心を抱いていました。メソポタミア文明を作ったシュメール人によって時間の概念が作られました。
日時計は天文学などの科学知識を学べばどこでも設置でき、点検なども必要かったので
世界中に広がりました。
しかしながら日時計には曇りや雨など悪天候では機能しないという欠点がありました。そこで開発されたのが水時計です。水時計は時間とともに一定量の水が流れることを応用したものです。しかし水時計にも水の量が水圧できまるので正確な水時計を作るのが難しかったと言われています。当時は「時間は神のもの」と考えられていたため、僧侶が時計を管理していましたが、ギリシア時代になると科学者が天文学や物理学などの知識を駆使して水時計の改良をします。水時計はやがて世界に広がっていきます。他にも砂時計や花時計など自然の力を利用した時計が生まれました。
しかし自然の力を使う時計は時間が見えなくて不便でした。そこで必要な時にいつでも時間が分かる機械式時計が開発されました。当時のキリスト教では「時」は「神」のものとされていて人間は「時」をコントロールすることが出来ないと考えられていました。例えば当時のキリスト教では、毎日のお祈りであるミサは時間を時間通りに実行されていました。これは神への忠誠心を表すためでした。このように時間を守るためには正確な時間を知らせてくれる時計が必要でした。そこで機械式時計が発明されました。
機械式時計は教会や王宮などから、町の中心などの広場に設置されるようになり、商売が盛り上がるなどして生活に便利になります。そして人々はより便利さを求めて考え出されたのがゼンマイをエネルギーとした時計です。
そして16世紀になるとガリレオによる振り子実験から振り子時計が開発されました。ゼンマイはさらに発展を遂げ腕時計の開発へとつながります。ゼンマイ式腕時計の初期は、ゼンマイのエネルギーが約2日間と、週休二日制が導入で時計を2日間外すと、時計が止まってしまうのが悩みの種でした。そこで各国で電池式ウオッチ(腕時計)の研究が行われました。アメリカとフランスは共同開発しましたが製品化には至りませんでした。そのあとアメリカのハミルトン社の商品開発がありましたが故障の問題を抱えていました。そして日本のシチズン時計によってこの問題は解決されました。時計は機械式から電子式になりましたが機械式と電子式のメリットを持つ腕時計が開発されます。
その後GPS機能などを含んだ高性能な時計が開発によって、地球上のどこにいても正確な時間場所が分かるようになりました。
そんな時計にも現在は問題があります。本書ではそれは「うるう秒」の概念だと述べられています。うるう秒を取り入れることで、豪州の航空システム会社の異常で、飛行機の運航が乱れたりする問題がありました。2012年に世界で開催された会議でうるう秒の賛否の議論がありましたが、結論は出ておらず2023年の会議で決めることになっているそうです。他にも本書で筆者は時間の単位がいつまでも「六十進法・十二進法」でよいのか疑問を抱いています。時間の単位は1秒までが十二進法・六十進法で表記されて一秒未満の単位は10進法で表されるのが不思議だなと思います。例えば100メートル走で10秒30は10秒1/2でなく10秒3/10である。このように時計が発達することでそもそも「時」とは何ぞやといった問題が出てきました。
【感想】本書で今までの時計の歴史をたどってきましたが、時間というものがしっかりわかるのは時計のおかげたと思います。僕は生まれた時代は時計というもの当たり前にあるもので時計に関して意識することはあまりありませんでした。液晶の時計などが出来たのも昔の人の研究があったからだということが分かりました。科学者が液晶という物質を発見していなかったら、僕たちの生活に欠かせないiPhoneやテレビ AIなどはこの世にはなかったと思います。その世界を考えてみるのも楽しみの一つだと思います。その世界はいまだに想像がつきません。時というものも存在しているようで目には見えない不思議なものだなと感じました。そう考えるとドラえもんの四次元の世界を考えた藤子・F・不二雄さんは偉大な人だなと改めて本を読んで感じました。
そして本書は世界史が好きな人には大いにおすすめだと思います。また物理や化学など自然科学に興味がある人は時計の仕組みに関して載っているのでおすすめです。
高校生で物理とか化学って勉強する意味って何だろうと疑問に思った人には、
実際に物理、化学がどのように使われているか時計の開発の話を踏まえて書かれてあるので本書を手に取ってみるといいと思います。
この本に書かれているのは題名にもある通り人と時計の関わりの歴史です。
本書に登場する時計に情熱を燃やした人たちの生きざまを感じることでより時計が身近でかけがえのないものになると思います。